レトリック de SM

前回は文体のお話をしたので、関連してレトリックのお話。

レトリックというのは修辞学と訳され、「ことばを巧みに用い、効果的に表現すること、またその技術」といった意味で使われる。
歴史的にはアリストテレスの弁論術のように、詭弁や説得のための技術として研究されていたことから、口先で聴衆を欺き、人心をコントロールする手法としてのレトリック(レートリケー)、もしくは内容を伴わない美辞麗句など、悪い意味で使われることも多い。しかし、ここでは文章を味わい深くする、良い意味でのレトリックを考察しよう。きっとSMにも使えるぞ。

レトリックには隠喩、誇張法、擬人法、列叙法、倒置法...などたくさんあるが、いちばん有名と思われる直喩を中心に見てみよう。

何かを表現するのに、〜のようだ、〜みたい、と喩える形式を直喩という。
佐藤信夫「レトリック感覚」[*1]より
"法王ボニファキオ八世は、狐のようにその地位につき、獅子のようにその職務をおこない、犬のように死んだという(モンテーニュ『エッセー』Ⅱ)
十三世紀から十四世紀初頭にかけて西洋史をにぎわせたこの勇ましいローマ法王(教皇)の生涯を二行ほどに要約しようとすると大変だ。なにぶん派手な活躍をした人物だから、百科事典類もかなりの行数をさいているだろう。その生涯を、このたとえは簡潔に、生き生きと伝えている。科学的に正確というわけではないが、印象的にはきわめて正確だと言ってもいい。くどくど説明しなくても、くだんの法王の登場のしかた、全盛時代の勢い、そして世を去るころの姿が、何となく分かってくるからおもしろい。"
法王は狐のように、獅子のように、生涯を送った。狐の持つ狡猾なイメージ、獅子の持つ勇猛なイメージで、人物が生き生きと描写されている。

一般的に直喩では「XはYのようだ」という形式を取る。
そして直喩とは、未知のXを表現するために、それを既知のYになぞらえるという考え方ではない。Yを知らなくとも、いや、むしろYを知らないからこそ想像力を羽ばたかせることができる。
例えば、「お仕置き道具を山ほど積んだカートは、ガラガラ蛇の這うような音をたてながら奴隷のそばに近づき・・・・そして停まった。」という表現を見れば、実際にはガラガラ蛇の音を聞いたことがなくても不吉なものが這い寄ってくることは想像できるだろう。そしてまた、その不吉なものがもたらす結果をもとに、ガラガラ蛇というのはよほど危険な音を立てるらしい、とあべこべにYを推しはかることすらある。

XのようなY、という表現を使う際、ふつう直喩はXとYのふたつのものごとの類似性にもとづく表現である。上述「レトリック感覚」ではさらに一歩踏み込み、発見的類似性の提示、ふたつのものが類似するという共有感覚の要求について述べている。
駒子の唇は美しい蛭の輪のやうに滑らかであつた。(川端康成「雪国」)
「雪国」では、駒子は魅力あふれる、美しい女性として描かれている。佐藤氏はヒルというものをまるで見たことがなく、ヒルと唇を結びつけるなどおよそ想像もしなかったこと、そしてヒルを美しいと感じることは極めて難しかったことをもとに、こう語る。
”とすれば、この直喩は「・・・のやうに」という結合表現によって、非常識な類似性を読者に強制していることになる。(中略)類似性にもとづいて直喩が成立するのではなく、逆に、<直喩によって類似性が成立するのだ>と、言いかえてみたい。「美しい蛭のやうな唇」という直喩によってヒルとくちびるとは互いに似ているのだという見かたが、著者から読者へ要求されるのである。”

では、SMにレトリックを適用してみよう。

「さくら、舌出してはぁはぁして。犬みたいだね。」

犬みたい、は言葉責め。こう言われたらたぶん、えっちな気持ちになる。でも、よく考えてみると生物としての「犬」は別に淫らじゃない。「ヒトとしての権利を剥奪され、従順に躾けられるあなた」というイメージが屈辱的でえっちなのだ。そして、ご主人さまから直喩という形式をもった命令を下される(君はいま、犬なんだよ。犬みたいに振る舞いなさい)のが被虐感を掻き立てる。
本当に犬に似ているから「犬みたい」って言うんじゃないんだよ。逆だ。「犬みたい」って言われたから、もっと犬らしく振る舞おうね?というのがこの責めの背後にあるレトリックなのだ。


もうちょっとだけ遊んでみよう。誇張法(おおげさに言うこと)。
「ご主人様は奴隷のお尻を百叩きした。お尻は真っ赤に腫れ上がり、数日間は椅子に座れないほどであった。」

あなたは椅子に座れないほどスパンキングされたことがありますか。
たぶんないだろう。
どんなに叩いても、座れないほどってことはまずないよ。
でも、じんじんジクジク、痛むお尻を想像しちゃってえっちな気分になる。
それがいいのだ。

え、どんな感じか身を以て知りたいって?
こちらへどうぞ。
泣いても喚いても、おしりが壊れるまで叩き続けてあげるよ。

あなたはお尻が壊れるまで叩かれたことがありますか。
たぶんないだろう。
だって、お尻は壊れるものじゃないからだ。
でも想像しちゃってえっちな気分になる。
それがいいのだ。

え、デジャヴュ?
ちがうちがう。同じものを並べ立てる(列叙法)。そういうのもレトリックなのだよ。

ことばであそぼう。脳イキしよう。もっとSMは楽しくなる。


(参考文献等)
[*1] レトリック感覚, 講談社学術文庫, 1992, 佐藤 信夫

コメント

フラメント

カイ様こんばんは
本当に色々と勉強になります^^

カイ

Re: カイ様こんばんは
フラメント様
コメントありがとうございます。マニアックなお話ですので、さらっと読んでいただければと 笑

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