専業奴隷の経済学 1

今回は専業奴隷の経済学について考察してみる。
専業奴隷とは私がいま適当につくった造語だが、「収入や財産を持たず、経済的にはご主人様に完全に依存して生きるひと」を指す。これは経済的には専業主婦のようなものと考えられる。

ご主人様と一生、SMプレイだけして遊んでいたいというのはM奴隷の夢だろう。経済的な観点から、これが可能かを考えてみようという話だ。けっこう数字が多いので、太字だけ拾い読みすればなんとかなるように書いてみた。

いつも通り、ご主人様はS男性、奴隷はM女性という想定。
1.統計的事実、2.金融工学、3.未来の不確実性 4.結論に分けて書く。

1. まずは統計的事実から。
2007年に生まれた日本人は、107歳まで生きる確率が50%ある。[*1]。すでに人生100年時代は到来しているのだ。ファイナンシャル・プランニング的に、必要となる生活費を考えてみよう。
奴隷の生活費を以下のように試算する。
令和2年、東京都千代田区の生活保護費はひと月あたり132,930円だ。12ヶ月で約160万円。
所得ゼロの個人の国民年金は年20万円(16,540円を12ヶ月)、健康保険料は年約5万円(均等割額のみ。医療分37,300円、後期高齢者支援金分11,000円、介護分(40-65歳が対象)14,200円)
合計すると185万円となる。ざっと1年あたり200万円が必要になるとしよう。

さて、この生活費をご主人様のポケットマネーから出すとすると、ご主人様にはどのくらいの所得が必要になるだろうか。
以下のご主人様像を考える。
・会社員。25歳から70歳まで働き、90歳まで生きる。
・手取り年収の上昇割合は年2%。
・引退後(70歳から90歳の間)は現役時代の平均手取りの50%の支出で暮らす。
・現役時代は手取りの12%を貯蓄し、引退後に備える。
・貯蓄とは別に、90歳まで毎年、上記の200万円を奴隷に手渡す。
・年金は70歳から90歳まで、現役時代の平均手取りの30%をもらえる。
・貯蓄は、現役時代には年利2%の複利で運用でき、引退後は運用なしとする。
この想定で、90歳(死亡)時点のご主人様の貯蓄がゼロになるように必要手取り年収を計算した。30、40、50歳時点でのご主人様の必要手取りはそれぞれ631、770、938万円となる。額面年収(税金と社会保険料を含んだ年収)は860、1050、1350万円程度だ。[*2]

厚生労働省の賃金構造基本統計調査(令和1年度)[*3]のデータをもとに、40-44歳の年収1000万円以上の割合(男性)を見ると、0.5%である。200人にひとりの高給

まずご主人様候補となる男性がほとんどいない。
専業で一生ご主人様にお仕えするには、けっこうお金がかかるのだ。

2. 次に、金融工学的な話。
ご主人様に経済的に依存して生きるというのは、経済学的には一つの会社の株に全財産を突っ込むのとあまり変わらない。会社の調子がよければ順調に配当が支払われるのと同様に、ご主人様の調子が良ければ安定して生活費がもらえる。しかし、会社が破産することがあるのと同様に、病気や怪我などでご主人様が倒れることもある。ふつう、個人というのは法人よりリスク耐性が低く、より危険である。

さて、奴隷はこの「ご主人様株」にいくら突っ込むことになるのか。
例えばあなたが20代ならたぶん預貯金はゼロに近いだろうから、人的資本(あなたが将来にわたって稼ぐであろうお金を現在価値に割り引いたもの)を投資すると考えよう。[*4]

ユースフル労働統計 2019(データは2017年のもの)[*5]より、60 歳まで勤務した場合の退職金を含めない高専・短大卒女性の平均生涯賃金は、非正社員で1億1千万円、正社員で1億8千万円となっている。(大卒の場合は2割ぐらい加算して読み替えて欲しい)。

ここでは生涯賃金1億8千万円のケースで人的資本を計算しよう。
20歳から60歳まで働き、年収の上昇割合を年2%、リスクプレミアムを年率8%として現在価値に割り引くと、20歳時点での人的資本は4678万円である。[*6] 
専業奴隷になるということは、この人的資本を社会ではなく、ご主人様のために蕩尽することになる。とても贅沢である。

生涯収入1億8千万円という数値について考える。「主婦は2億円損をする」という本が話題になった[*7]。「専業奴隷は2億円損をする」もほぼ同様に言えることなのである。

続く


[*1] LIFE SHIFT(ライフ・シフト), 2016, 東洋経済新報社, リンダ グラットン

[*2] 計算式を示すのはやや大変なので、数字の概略を記載しておく。
30、40、50、60、70歳時点の手取り額はそれぞれ631、770、938、1144、1395万円。
現役時代の平均手取り額は924万円。70歳時点では7697万円の貯蓄。その後、年金が5544万円(924万円の30%の20年)入り、支出は4000万円(200万円*20年)と生活費9240万円(924万円の50%の20年)。

[*3] 賃金構造基本統計調査(令和1年度)pdf 第7表 賃金階級、性、年齢階級別労働者割合(2-1)

[*4] 人的資本についてはWikipedia: ゲーリー・ベッカーなどを参照。


[*6] 20歳時点の初任給をaとすると、
a + (1.02) * a + (1.02)^2 * a + ... + (1.02)^40 * a = 1.8億円
これを満たすaは287.5万円。この場合、60歳時点の給与は(1.02)^40 * 287.5 = 634.8万円
このaを使って現在価値Sを計算すると、
S = a + (1.02/1.08) * a + (1.02/1.08)^2 * a + ... + (1.02/1.08)^40 * a = 4678万円。
リスクプレミアムが8%はやや厳しい想定かもしれない。株式並みに、リスクプレミアムを6%とすると、現在価値は約6000万円となる。

[*7] 専業主婦は2億円損をする, 2017, マガジンハウス, 橘 玲

コメント

非公開コメント