奴隷の論理学

専業奴隷の経済学1、2の結論は「経済合理的に考えると、専業奴隷の道はなかなか険しいぞ。」であった。でも「合理的とか非合理とか関係ない。ご主人様についていきます」という奴隷さんもいるだろう。これは危ういけれど、とても強い考え方だ。

いかにして強いか。今回は「信念は合理に勝る」というお話。例によって活字が多いので、太字で飛ばし読み可能。

まず論理学について簡単に説明する。
Aという前提のもとでBが正しい」という命題を推論と呼び、Aが真(正しいこと)の時、Bが真になる場合、妥当な推論と呼ぶ。

ただし、前提が正しいことは論理では証明できない。

「Aという前提のもとでA」は常に妥当な推論だ。
例えば、「私は空を飛べるという前提のもとでは、私は空を飛べる」ということは論理学的には正しい。もし前提が真ならば、結論(空を飛べる)も真だからだ。でもこれは意味を考えると馬鹿馬鹿しい。どう考えたって私は空を飛べないからだ。前提が間違っている。

前提が正しいかどうかは、論理は保証してくれない。(仮に正しいとすると)という括弧付きの態度、もしくは「それは正しいのだ」という信念のみが正しさを裏付けるのだ。

さあ、前提(信念)がどのように現実世界に影響するのか、見てみよう。

次の二つの命題は、論理的に同じぐらい正しいことは理解できるだろうか。
神(アッラー)が存在することを信じるならば、豚肉は食べてはいけない。(神の啓示であるコーランにそう書いてある)」
神は存在せず、栄養学や衛生学を信じるならば豚肉は食べてよい(栄養があるし、加熱すれば食べても安全だ。)」

豚肉は、いっけん食べられそうに見える。でもそれはあなたが、アッラーを信じない世界にいるから。あなたも、人肉や犬肉を食べることには抵抗があるだろう。イスラム教徒が、豚肉を食べる人に感じるのはそういう感覚かもしれない。
前提によって、結論は全く異なる。異世界、パラレルワールドと言っても差し支えないぐらいだ。ひとは自分の信じるほうの世界で生きていく。

宗教っぽい?でも、科学や数学の世界でも同じようなことが起こっている。前提となる公理からスタートし、推論をつなげることで定理を証明するのが数学の一般的な手続きである。数学でも、前提によって違う世界が構築できるのだ。

平行線はいっけん交わらないように見える。そこで、平行線が交わらないと信じてみよう。するとユークリッド幾何学が成り立つ。高校ぐらいまでの数学は、ユークリッド幾何学系だと思ってよい。そして、ユークリッド幾何学を元にしたニュートン力学は、世の中の現象をよく説明した。

では、もし平行線が交わるとするとどうなるか。ユークリッド幾何学が成り立つ。非ユークリッド幾何学とは、たとえば双曲線幾何学(ボヤイ、ロバチェフスキー)、リーマン幾何学(リーマン)、射影幾何学(ヒルベルト)といったものだ。そして、これらの数学系はニュートン力学で説明できなかった物理現象を説明した。例えば、ヒルベルト空間によって量子力学が発展した。アインシュタインの相対性理論では時空が湾曲するため、ユークリッド幾何学ではなくリーマン幾何学を使っている。

前提(公理)を変えることで、全く違った世界が構築できるのだ。(そして、それはどちらも現実世界の物理現象をうまく説明しており、今では広く受け入れられている。)

ここまで、
・論理は前提(信念)を証明できない
・信念によって世界は全く違った相貌を現す
ことを見てきた。これが、「信念は合理に勝る」ということの意味だ。

さあ、ご主人様論に戻ろう。「ご主人様のことが好き。何があっても信じます」といった言明は、論理をぶっちぎった信念だ。くらくらするほど狂信的だけれど、論理的には否定できない

ひとは何かを信じて生きていくしかない(あなたはなぜ貨幣、科学、他者の存在を信じているのか。それがあなたや、大多数の人にとって都合の良い前提だからではないか?)のだから、あなたが生きたい世界がご主人様を中心とした世界なら、それを選ぶのはあなたの自由だ。

ふつうのご主人様は、打算的な論理「あなたがこれをしてくれるなら(前提)あなたを愛します(結論)」にはもう飽きているだろう。理由もなくご主人様を信じ、肯定する。その非合理で真摯な態度こそがご主人様の心を打つのだよ。
そしてそれはたぶん、あなたがご主人様にしてもらいたいことなのではないか。「(あなたの名前)のことを信じるよ」って、言われたいのではないか?

良好な関係を築くご主人様ー奴隷のペアは、深い信頼で結びついている。お互いを信じ合える世界に生きるのはとても素敵なこと。その世界に入れるかどうかは、あなたの信念しだいだ。

あなたがご主人様とうまくいきますように。


(補足)
本文では合理的と論理的をほぼ同じ文脈で扱っている。
合理と論理はちょっとだけ違うのだが、論理は合理を包含する。論理的に正しい選択肢がいくつかあり、そのうち最も低コスト、高速でできる選択肢を合理的と言う。論理的に破綻しているが合理的な選択肢というのはちょっと難しい。
信念は論理に勝るのなら、まあ信念は合理に勝ると言ってもいいだろうという程度に考えていただきたい。


(参考文献)
はじめての構造主義, 講談社現代新書, 1988, 橋爪 大三郎

コメント

風花(かざはな)

難しいです。
初コメです。
何か、コメントを差し上げたいという思いで訪問させていただきました。
内容について、何か、書こうと思ったのですが、頭良すぎでついてゆけません。もう一度、勉強して出直して来ます。
おバカな牝奴隷をどうかお許しくださいませ。

カイ

Re: 難しいです
風花へ
読んでくれてありがとう。小難しい文章でごめんね。
大丈夫だよ。理解できるまで許さないから。(何のプレイだ・・・)
またそちらにも遊びに行くよ。
ではでは。

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